石破茂さんが今回の自民党の総裁選挙に出馬することが決まりました。
総裁選に出馬するために自民党所属の国会議員推薦人を20名集める必要があります。
今回石破茂さんは総裁選で推薦人を集めるのに苦労している、とマスコミに報道されています。なぜ国民の人気が高く、政治家としてのキャリアも長いのにそんなことになるのでしょうか。
様々な政治関係者が語ります。石破茂さんは「人望がない」、「嫌われているという声」がなぜ上がるのか調べてみました。
石破茂さんのプロフィール
数々の大臣を歴任
第67-68代 防衛庁長官
2002年9月30日 – 2004年9月27日
第4代 防衛大臣
2007年9月26日 – 2008年8月2日
第48代 農林水産大臣
2008年9月24日 – 2009年9月16日
内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)
2014年9月3日 – 2015年10月7日
内閣府特命担当大臣(地方創生)
2015年10月7日 – 2016年8月3日
数々の大臣を歴任しています。すごいキャリアですね。あまり政治を知らない人も、防衛と農業の人ってくらいは認識していると思います。
その他の経歴
衆議院議員 当選回数 12回
(1986年7月8日 – 現職)
第52代 自由民主党政務調査会長
(2009年9月29日 – 2011年9月30日)
第50代 自由民主党幹事長
(2012年9月28日 – 2014年9月3日)
大臣だけでなく、党内の重要なポストにも就任しております。
こんな方がなぜ人望が無い、嫌わていると言われるのでしょうか。
人望が無い、嫌われていると言われる理由
3名のエピソード
杉村太蔵さん
杉村太蔵さんいわく、安倍元首相や小泉元首相や菅元首相は何かアイディアが浮かんで話に行くと、「いいアイディアだな幹事長に言ってみてくれ」と言われて、とてもやる気になる。ところが石破茂さんに話に行くと「ダメ」と一言でおしまいだそうです。そういった対応が嫌いだったそうです。
この話は舛添さんも話に加わって、好きじゃないと話しています。
舛添要一さん
こちらの動画で語っています。舛添要一さんは石破茂さんと同時期に大臣を務めたこともある方です。
動画の中で3つほど理由を語っています。
- 学者風の屁理屈展開
当時石破茂さんと舛添洋一さんが国家の安全保障の件で議論した際に理屈ばかり話す石破さんに対して「お前はそれでも政治家か」と話したそうです。石破さんも舛添さんに対して「お前はそれでも学者か」と元学者だった舛添さんに話したそうです。元学者だった舛添さんが話すくらいですから、理屈っぽいのでしょう。 - 子分の面倒見悪さ
これは杉村太蔵さんが話したことに近いかもしれませんが、もともとは派閥の長だった石破さん。古いしきたりではあるかもしれませんが、派閥の長であれば、選挙で面倒を見る、派閥の会合でご飯を食べさせるようなことがあまり得意じゃなかったとのこと。 - 他人の状況が読めない
当時派閥の誰かが選挙で困ってる等であまりいい対応をしていなかった。なので推薦人もいざという時に集まらないと話しています。
金子恵美さん
「二階さんが幹事長の時は、『アポイントなんてしなくてもいつでも来なさい』って5分でも話聞いてくれて。『○○でうちの若いのが困ってるから動いてくれ』って、官僚に電話してくれる。そうすると(みんな)ついてきてくれるじゃないですか。石破さんに(幹事長の時に)相談しに行ったら、『これは幹事長の仕事じゃないから、違うところ行け』って(言われた)。聞くことをしてくれない人は、若手とか部下は、この人のために一生懸命仕事を…(してくれない)」
デイリースポーツより
これも杉村太蔵さんの話していたエピソードと似ていますね。こういった積み重ねで人が離れて行ってしまうのかもしれませんね。
その他の意見
これば過去の総裁選の時のまとめです。発信した方は元区議です。可哀そうになるくらい散々な言われようですね。やはり親分という感じの方ではないようですね。
自民党が野党になった際に一度離党しているから
1993年の宮澤内閣不信任決議を巡っては、与党の一員でありながら賛成票を投じる。
与党の細川連立政権が推進した政治改革関連4法案をめぐり、野党に転落した自民党の方針に反して賛成し役職停止処分を受けた。その後自民党を離党する。
その後1997年に自民党に復職しますが、この時の禍根が今もまだ残っているとも言われています。
まとめ
人望がない、嫌われている。という意見がありましたのでまとめてみました。
学者気質で冷たく見える部分がこういった意見につながるのかもしれませんね。ただ国民は、人と群れない精神で古い政治を変えてくれるのではないかという期待があるのではないでしょうか。
今回の総裁選はいったいどうなるのでしょうか。最後まで目が離せません。
コメント